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荘王(しょうおう)は、周朝の第15代の王。桓王の子。姫胡斉(釐王)、弭叔頽〔『春秋左氏伝』より〕(姫叔頹)らの父。 前694年、王族の周公黒肩が荘王を弑し、その弟の儀叔克〔同じく『春秋左氏伝』より〕(姫叔克)を擁立する計画が露見した。 荘王は大夫辛伯に命じ、そのため黒肩は殺害され、儀叔克は南燕(現在の河南省延津)に逃れた。 側室の姚氏が産んだ弭叔頽を溺愛し、太子の姫胡斉(釐王)を疎んじたが、結局は太子がその後を継いだ(しかし、孫の恵王の代に弭叔頽は自ら周王と称した)。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荘王 (周)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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